一つの時代が終わった
- 2017.11.29
- 日記
社長が作った筆立。
社長がお亡くなりになる前に、この筆立を200個?、300個と事務室の社長の椅子に座って作っていたそうです。
思い出の品として頂きました。
先週、僕が34歳で入社して、自分の人生で一番輝いていた時を過ごした、水道の会社の社長さんが亡くなりました。正確には社長の座を義理の息子さんの専務にバトンタッチしたので、会長?ご隠居さんです。
昭和34年(だったと思う)〇〇◯設備工業を設立して一代で神戸の水道事業に尽くされました。
僕が生まれたのは昭和39年。昭和の高度成長期の真っ只中です。
水道・下水のインフラが進み、空き地にはヒューム管(土管と呼ばれていました)が置いてあり、その上で子供が遊ぶ風景が当たり前だった時代です。
水道工事をたくさんして、たくさん稼いだ時代です。
僕が社長に拾ってもらったのは、僕が大阪の設計事務所を辞めて、地元の神戸で働き口を探していた33歳の時でした。
履歴書に
「物作りが好きでいずれは大工だった父のように建築関係に進みたいと思っています。」
と書いていたのが社長の気を引いたのでしょうか。即採用。
数日後から僕の人生の核となっていた水道の職務が始まります。
社長は物を作るのが好きで、僕が入社した頃から実務からは身を引いて専務に任し、好きな工作みたいな事ばかりをやっていました(笑)。
ある時は会社の未舗装の倉庫がある空き地で、「水代が勿体無いから井戸を掘る」と言い出し、何メートルか地下までφ50の鋼管を地面に打ち込み「この辺はみず道があるから幾らでも出る」と自慢げに井戸水を出し、立派な洗い場を作りました。
又ある時は「会社のビルの屋上にプランターを作る」と言い出し、道路工事をする時に道路を掘った後の埋め戻しに使う材料の「真砂土(まさつち)」を大量にビルの上から小さなクレーンで引き上げ、植木鉢に植物を植える範囲の度を越した、「なんもそんなに本気でしなくてもいいのに」と思う周りの意見を無視して、屋上に菜園のような物を作りました(僕は屋上を見ていません)。
そんな楽しく働き甲斐のある会社でしたが、12年間会社の水道工事の役所へ届ける申請や設計事務、水道の道路工事の現場監督(主任技術者)、水道の検査と水道局との均衡・協議などを受け持っていましたが、年々工事の受注も減る中、色々あって、会社には首を切られた訳ではありませんが、自分から退社しました。設計事務だけで人を一人雇うのが厳しくなったからです。工事する物件が出る度に僕がやっていた業務を外部へ発注して、その都度やらした方が経費が少なくて済むからです。
最近は余程大きな管工事会社以外は殆どがそうです。
その時は長年働いたこの会社を辞めて、すぐに他の会社に移籍しました。
退社してから社長に改めて妻と一緒に挨拶に行った時、社長は涙ぐんでくれました。僕も涙が出ました。
それが今から7年前・・・。
社長は蛭子神社の役員をされていて3、4年前までは10日えびすの日に神社の御用も手伝われていました。最後にお会いしたのは2年前です。
「ああ、社長元気かなあ、去年は蛭子さんに行かなかったから、来年は行って顔を見せたいなあ」と思っていた矢先です。
実は先週水曜日、ガンで入院されていた社長が急に容態が急変し、亡くなった事を聞いて、木曜日、金曜日と作業所を休み葬儀に参列させてもらいました。
昔一緒に働いたり、一緒に旅行にも行った職人さん達とも会いました。
良いお天気で、とてもいいお葬式でした。
僕の中で一つの時代が終わりました。
社長のお顔はとても穏やかで
「〇〇君、なんか作って欲しいもんあるか(笑)」
と、今すぐにでも語りかけて来るようでした。
社長、今までお疲れ様でした。
ゆっくりとお休みください。社長
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