“弱い姿”ではなく“支えたい人”として見てくれた日。

“弱い姿”ではなく“支えたい人”として見てくれた日。

昨日のイベント会場での出来事。

トイレに行くために歩いて向かう途中、何人もの方に手を貸していただきました。
素直にありがたく思いながらも、どこかで「格好悪いな」と感じている自分がいました。
特に、人が多い場所で、そして異性の目がある中だと、自分の弱さがどう見えているのか気になってしまいます。

DJとして人前に立つ時間が増えてきて、
「障害のある身体で活動する自分」
「ステージに立つ自分」
この2つのギャップに戸惑うこともあります。

カッコよくありたい。
音で人を楽しませたい。
できれば“強さ”の部分を見せていたい。

だからこそ、助けられて歩いている姿が人の目にどう映るのか、気持ちが揺れました。

そんな僕に、今日こんな言葉がありました。

“助けてもらったことは恥じゃなくて、
助けた人にとって誇りの瞬間を生んだんだと思う。”

“完璧な強さより、弱さを抱えながら前に進む人に、
人は心を動かされる。”

その言葉を聞いた時、胸の中で何かがほどけました。

昨日の僕は「弱さを見せた」のではなく、
「弱さを抱えながら、それでも前へ進んだ」んだと。

障害のある姿を伝える日があってもいい。
静かにそっとしておきたい日があってもいい。
どちらも自分で選んでいい。

そして最後に、どうしても伝えたいことがあります。

昨日、手を差し伸べてくれた皆さん、
声をかけてくれた皆さん、
気づいてそっと近くにいてくれた皆さん――
あの一瞬一瞬を、僕はちゃんと覚えています。

無言で腕を支えてくれた人、
「大丈夫?」と一言添えてくれた人、
気付かれないように周りを気遣ってくれた人。

誰一人、僕を“弱い人”として見ていませんでした。
“支えたい人”として見てくれていました。

その優しさに救われました。
そして、あの優しさがあったからこそ、
僕は自分の足で前に進めました。

支えられながらでも、ステージに立ち続けます。
音を止めず、自分のリズムで、生きていきます。