砂山の記憶 ― 砂川奇勝と和泉砂川駅をつなぐ家族の物語
- 2026.01.26
- 雑記
古いアルバムを見返していて、
今ではもう見られなくなった風景が写る写真がたくさん出てきました。
白い砂の山。
風に削られた谷。
ところどころに立つ松の木。
ここは、かつて 砂川奇勝(すながわきしょう) と呼ばれた景勝地。
地元では親しみを込めて 「砂山」 と呼ばれていた場所です。
この独特な地形は、約200万年前の海底隆起と風雨の浸食によって生まれ、
「まるで川のように削られた砂の谷」が特徴だったそうです。
その景観が 「砂川」 という地名の由来になったと知り、深く納得しました。
私が幼い頃、
この砂山は 遊び場であり、庭であり、家族の集まる場所 でした。
砂山にあった祖父の家
砂山のすぐそばには、
母の父――高木のおじいさんの家 がありました。
古い造りながらも大きな家。
親族が自然と集まり、
子どもたちの声が絶えない、
まさに 一族の拠点 のような家でした。
写真には、
砂山で遊ぶ私といとこたち、
そして おじいさん・母・幼い私が並ぶ一枚 も残っています。
砂山の上でゴザを敷き、
鍋を囲んで食事をしている写真 まであります。
天気の良い日に、外で食べたのでしょう。
今思えば、なんとも穏やかで贅沢な時間でした。
母は長女で、祖父は
幼い私をとても可愛がってくれました。
おじいさんの笑顔を見るたびに、
あの頃の空気が胸の奥に戻ってきます。
砂山の奥にあった不思議な遊園地
当時の砂山の奥には、
すでに動かなくなっていた
観覧車や遊具の残骸 がありました。
砂の山の中に突然現れる遊園地の廃墟。
子ども心に、そこは
異世界の遺跡のような場所 でした。
かつて阪和鉄道(現在のJR阪和線)は、
この砂川奇勝一帯を観光地として紹介し、
遊園地とセットで多くの人が訪れていたそうです。
子どもの頃に見た動かない観覧車は、
その名残だったのだと後から知りました。
今ではその姿も消え、
記憶と写真の中にだけ残っています。
おじいさんのもう一つの顔
家族の中で、昔から語られていた話があります。
「おじいさんは、和泉砂川駅の名前に関わったらしい」
祖父は当時、
地域で 有権者として発言力を持つ立場 にあったと聞いています。
また、戦後の混乱期には
闇市で服や食料品を大量に買い出し、家族や周囲を支えた
行動力のある人だったそうです。
ただ優しい祖父というだけでなく、
地域を支える力を持った人物 だったのだと、
今になって感じています。
そして家族の中では、
「おじいさんは和泉砂川駅の名前に関わったらしい」
という話が昔から語られていました。
今こうして土地の歴史を調べてみると、
この話も決して大げさではなかったのかもしれません。
砂川奇勝と和泉砂川駅
最近、「なんかいウェブ研究所」のブログで、
砂川奇勝がかつて観光地として賑わい、
阪和鉄道がこの景観をPRしていた歴史を知りました。
その記事に載る当時の景観と、
私の家族写真に写る砂山の風景は、
驚くほど重なります。
私の写真は、家族の記録であると同時に、
この土地の歴史を写した資料なのだと実感しました。
もしこの場所がいつかテレビ番組「ブラタモリ」で紹介されたら、
私の写真が “当時の資料提供” として使われる日が来るかもしれません。
そう思うと、少しワクワクします(笑)。
砂山 → 砂川 → 和泉砂川
祖父が暮らした 砂山。
土地の名である 砂川。
そして駅名となった 和泉砂川駅。
📍 和泉砂川駅
大阪府泉南市信達牧野165番地
JR阪和線の駅です。
写真の中の風景は消えつつありますが、
駅名として、地名として、
この土地の記憶は今も生きています。
記憶は、写真の中に生きている
砂山で遊んでいたあの子どもが、
大人になって、
自分のルーツを語り直している。
人の人生と、街の歴史はつながっていました😊
おわりに
もしこの 砂川奇勝(砂山) をご存知の方、
当時の思い出をお持ちの方がいらっしゃれば、
ぜひお話を聞かせていただけたら嬉しいです。
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