湧出量175L/分 温泉のある病院
本格的に夏がやってきました。
季節外れの台風がこの7月に2つも日本を通り過ぎ、そのあとどさくさ紛れのような梅雨明け宣言があってから1週間後の今日、あれだけ雨が降ったせいか天気予報は晴れマークだらけです
(;´Д`)暑い・・・
昼間は夕方にならないと行動出来ない(ウォーキングとか体を動かすこと)為、思い切って温泉に浸かりに行きました。
午前中は病院のリハビリを受けた後、午後になってから独り気楽なドライブがてら北区にある「しあわせの村」へ。
リゾート施設のようなここに3年前入院していました。
こんなとこに病院が!と思われる方も多いと思いますが、脳血管疾患等リハビリテーションの回復期病院がここにありまして、私もお世話になりました。
車で自宅から30分、風呂に入る前に懐かしい顔を見に、ここの一画にある神戸リハビリテーション病院に寄りました。着いてすぐ私の担当だったモーリー(この場合はこういう名前で書かせてもらいます)を訪ねてみたところ、1時間後に空きがあるとの事。病院の中をウォーキングがてら3階の病棟へ。
3年も経つのに看護師さん達は名前を覚えてくれてた。それだけ印象に残ったのだろうか。実はね、私、ここに入院した時危ない患者リストに載せられていたんですよ。急性期で入院したK中央市民病院で夜中に、寝ぼけて囲いだらけのベットの上から飛び出して、床に倒れていたのを看護師の方に見つけられ、「この人は異常行動を起こす人です。厳重注意」と脳外科担当の先生にレッテルを貼られちゃったんですね。
そうなると何をするにも全く自由が無い、脳に障害があるヤバい人です。だったんですよね(笑)
その危ない患者で入れられていた病室はこちらです。
ナースステーションのすぐそばにある「要監視」状態の病室です。この病室はヤバかった。四六時中おしっこをさせてくださいとせがむ人や、それを見てカンシャクを起こす人や、問題ありありな患者さん達で一杯した。私も突然こんな体になったジレンマとストレスを妻にぶつけて、大声で罵ったこともよくありました。事実、急性期のカルテには私は見せて貰えませんでしたが、かなりショックな事が書いてあったようです。でも、回復期の担当の先生に異常はなさそうと認められて、病室は変わりこちらへ。
なんでイカれてるねん、と言いたげに、脳はしっかりしている、と言わんばかりにPCのDAWソフト「Ableton Live」とか持ち込んで入院中に届いたコントローラーのマッピングを洋書のマニュアルと睨めっこしてセッティングしたり、自分がイカれてない”証明”で必死でした。
当時の写真
そんな3年経った病院です。
ここの病院は風呂が月・水・金だったか火・木・土だったか忘れたけど1日置きに入浴出来たので良かった。しかも温泉?。
風呂が好きな私にはこれは良かった。
風呂と呼ばずに”大浴場”です
しかし、広大な土地の一部によくこんな所があったのは、知る人ぞ知る病院です。
モーリーとの約束の時間がきたので、この辺でOSD紀行は終わります。
仕事中なのでお茶を飲むまでとはいきませんが、3年目の下肢・つま先の動きを見て貰いました。長い弛緩状態を1年前終わり、次のステージになった時間の遅い次ステージへの移行状態ですが、あの頃は緊張してつま先が内反などしてなかったのに、装具なしで歩くのはすぐに内反します。今でも今の担当のPT.OTの見立ては
ブルンストロームステージ
右上肢:Ⅲ 右手指:Ⅲ 右下肢:Ⅳ
です。進展なし。
一週間のスケジュールは病院リハビリが週一、PTの歩容改善などの個別指導が含まれた、器具を使ったパワリハが週一、体を柔らかくするマッサージが週二、他の時間は自分でするストレッチと自主トレーニングで体が機能後退しないように踏ん張っています。
まあ、転けて坐骨骨折を3月にやって1ヶ月入院したことを考えれば、元の歩容に戻せただけでいいかもしれませんが、麻痺の回復の変わらなさにはゲンナリです。
その後、予定通りここにある”ジャングル温泉”に入りました。夏休みだから子供が多いです。しかも、おじいさんに連れられて。というか、子供は夏はプールですよね!お父さんかお母さんに連れられて。
おじいさんに連れられて温泉、孫。無理矢理おじいさんが連れてきたっぽいです
夏の温泉も気持ち良かった。手のこわばりも暫くは無さそうです。
温泉のお湯の匂いが鼻に残ってます。家では味わえない感覚。くんくん
病院と同じ敷地内にあるというのが不思議です。
広いねんで!、しあわせの村。
今年の夏祭りはアグネス・チャンが来たそうです。
暑いし動けないし、この夏しょっちゅう来たろか、と目論んでいます。クククッ
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