大阪の夜

つい先日のことになりますが、傷病後初めて大阪へ行きました。

27年程前から会ってなかった友達と再会を果たすために・・・

1988年、僕は24歳の頃、神戸のDJとして大阪でDJデビューしたのが大阪ミナミマハラジャ(マハラジャ1号店「全国に名を馳せたディスコMAHARAJAは大阪ミナミマハラジャが最初のマハラジャだったんですよ!」)で神戸キング&クイーンがオープンするまでの研修で働きだして、「あんたは小箱のほうが味が出せてええやん」と、大箱だったミナミマハラジャから、もう少し箱の小さいマハラジャwestに変わって出来た仕事仲間&友人達でした。

その年の4月から大阪でDJしだして、マハラジャwestに移ったのが6月だったと思います。

そこから9月までの3ヶ月、短い期間でしたが一番楽しかった夏でした。

店でビシビシキメて店が終わってから公園で花火をしたり、今となっては口に出せません(笑)。

そんな楽しい想い出がいっぱいあった友人との久々の再会です。

神戸のキング&クイーンとマハラジャにその後移ったのですが、神戸マハラジャを辞めてからも一緒に仕事しました。

スキー場で栂池のMr.Jackで、このディスコは今も語り継がれる伝説のリゾートディスコだったんですが、そこの最後のスタッフだったんじゃないでしょうか。

このMr.Jackは全盛期からオーナーが変わり、引き続き営業していました。

僕は21歳の頃、ここで前のオーナーの時に1シーズンこのスキー場でDJしましたが、その後オーナーが変わってからもこの日に再会をしたKEN君が招集を掛けて、再び一緒にDJとして働きました。その時点で28歳ぐらいのことです。

その後、神戸は地震で僕から連絡も出来ない状態で、音信不通になってしまい、気がつけば20年ぐらい過ぎてしまいました。

そんな時間を埋めるのには十分な夜でした。

再会する会を開いてくれたのがカンペイ君。

みんな全然変わってない。あの頃のままでした。

最初に食事と乾杯したのが難波で、そこから心斎橋まで移動し、かなり賑やかな外人Barへ。

KEN君が週末にDJしているお店です。

音楽はHIP-HOP SOULからレゲトン、ダンスクラシックにEDMと、こうやって活字にすると何でも掛けていますが、1曲をショートショートに掛けて、それも新しく聴けるようにエディットして場を盛り上げてました。

もう、正直ハウスやらテクノやら、四つ打ちに飽きていたんですよ。

歌心があったり、時にはファンキーであったり、そういうビートが聴きたかったんですよ。

まぁ、四つ打ちしかダンスミュージックを知らん奴には分からんやろな(笑)オッサンの戯言ですw

とにかく楽しかった。

最後に

店から出る時にサポートしてくれた、親切な若い女子がいました。

看護師の方で麻痺の患者の事に慣れていて、妻のサポートより上手。

座っていた時間が長く、歩きにくい状態での中、段差や人混みの中を上手く歩かせます。

夜中の2時、ここ大阪はいろんな人がいます。踊りに来ている方も職業は色々!

・・・久々に行った大阪の街は温かったです。

 

又、そう遠くならないうちに2回目の飲み会を開いて下さい。カンペイ君
(=^・^=)

 

KEN君がDJのオープニングにかけたSimply Red のSunrise。

Hall & Oatesの1981年に出したI Can’t Go For That (No Can Do)をサンプリングしてHITした曲。少し違うバージョンがあったので貼りました。

良いですね、この曲。

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