コーヒーハウス JUN
- 2018.02.07
- 日記
この記事を書いているのはここが40年の幕を閉じ閉店する1日前です。
明日は休みを取ってここへ駆けつけています。
このお店が三宮、センタープラザ西館地下にオープンしたのが今も言った通り40年ほど前の頃。
若い世代のこの頃の流行りはコンチネンタル、ハマトラの少しヤンキーなファッションから一つ抜け出し、サーファーが持て囃される、アメリカンカジュアルが主流の頃でした。
スケボー、MTB、サーフィン、どんどん自由でアクティブなアメリカの文化に打ちのめされる中、このお店はオープンしました。
僕が初めて知った時は、まだレンガ作りの入り口で、後の雰囲気と違った感じでした。
この頃の音楽はAORや軽めのロックが流行った時代で、人それぞれ思い出す音楽に差はあるかもしれないですが、僕はエア・サプライ(Air Supply)とかを思い出します。
とにかく、時代はアメリカ、一色だったと思います。皆アメリカから入ってくる文化に夢中でした。アメリカから入ってきたスポーツ、忘れていましたがウインドサーフィンもそうです。
なんでフランスのメーカーのワニのロゴのラコステが当時のサーファーが着ていたのかさっぱり分かりませんが、「フルーツオブザルーム」の T シャツや、アメリカグッズで身を埋める若者でいっぱいの時代にこのお店ができたと記憶しています。
そういえばアメリカのアンダーウェアのメーカー「へインズ」のTシャツをマスターはいつも着ていた時期を思い出しました(笑)。
僕がDJの先輩の一角さんから紹介して頂き、アルバイトとして入ったのはもっと後ですが、その時のメニューにも「ドッグセット」というホットドックにコーヒーがセットになった、アメリカンな軽食を出していました。(まだあるのかなあ、明日頼んでみよう・・・)
僕もアルバイトでこのお店で若い頃の青春時代を過ごしました。
僕が23でマスターは33の時です。
お店はお昼時になると近くにあった「星電社」の社員の方達で一杯になり、お昼時間のランチをさばくのに大変でした。
時代はバブルが弾ける少し前で、活気があった時代です。今でもその頃の事は最近のように憶えています。
お店の中の壁にはマスターの趣味でサーフボードが飾られており、神戸にいるサーファーもここによく来ていました。とにかく時代は何か流行っても右向け右の時代で、今のように細分化が無くて、このお店の上のセンタープラザ1階にサーフィンをする人に客層を狙ったようなお店「フルムーン」というところもありました。
波乗りカルチャーを匂わせたお店はこの当時多く存在していましたが、「コーヒーハウス JUN」はこのマスターの人柄で皆が集まっていたと思います。
神戸淡路大震災の直後は1階に場を移して営業し、いろんな苦労もあったと思います。
それから23年経ちますが、たまに行ってほっとできる店、それがJUNです。
僕は今53歳。40年前ですよ。オープンから。どれだけ僕も神戸という街ですがおせらしい子だったか笑
思い出したら、ここでバイトしてしか出来ない、吉兵衛のカツ丼を、ここに持って来て食べるとか、地元人間の身内ワザも多く体験させてもらいました。ここの市場では「潤ちゃんとこでバイトしてる子や」と働いている時は何かと融通を利かせて貰いました。なんといっても、このお店にてお世話になったDJはあの一角さんと市丸君、そしてその次が僕だったのはなんか光栄です。(二人ともめちゃめちゃ上手い。声がカッコ良かった)
残念ながらお店は明日で閉店です。
マスター、今日までありがとうございました。
また場所を変えて何かする時は呼んでください。
40年間お疲れ様でした♪
青春時代をありがとう。
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